Marioレポート4

vengavale2005-08-10



2.トーニャ

 孤児院の中には、ひとりの障害を持った子がいました。彼女の名はトーニャといいます。彼女の母親は、心の病をもっていて、子供を育てる事は出来ませんでした。父親は殺されてしまいました。残念ながら、ホンジュラスの社会の中に障害をもった人を受け入れるだけの力はない様です。働き盛りの男性でも、仕事はなく、昼間から街中をうろついている状態です。学校に行き、正規の教育を受けることが出来る子供は多くはなく、貧しい家庭の子供は、家計を支えるために働かざるをえず、読み書きは出来ません。
 
 障害を持った人々は、自ずと社会から黙殺されていくようでした。孤児院の中でさえ、私はそれを感じ取りました。私は、夕方5時から始まる街の教会のミサへ、毎日彼女を連れ出して行ったのですが、初めそれは、とても勇気がいる事でした。私が滞在した、サンタ・ロサ・デ・コパンという街は、首都から遠く離れた田舎で、その時私は、その街の中の唯一の東洋人でした。

 ただそれだけでも、とても奇異な目で見られ、時には侮辱した野次(中米では一般的に、東洋人は見下して見られる)をとばされたりするのですが、さらに障害を持った子を連れて通りを歩く事は、明らかに異質な目立ち方をしました。彼女は、読む事も書く事も出来ず、言われたこともすぐ忘れてしまうので、毎日ひたすら同じことを繰り返し教えてきかせました。

 毎日服を着替えること、洗濯すること、学校へ行くこと、全てができたらミサへ連れて行きました。ひとつでも出来ないと、断固としてミサへは連れて行きませんでした。彼女は、私とミサへ出かけることを最大の楽しみにしていたので、ずいぶん努力をしてくれました。それは時に、喧嘩になりましたが、私にとってはそれは彼女とではなく、他の何かと喧嘩しているようにかんじました。