Marioレポート11

ルディンまりお


4.シスター斉藤をたずねて(その3)

 しかし、この国で強盗に入られて、殺されなかったのであれば、それは全く幸運だったと言わざるを得ません。この国では、誰でも銃を持っていて、強盗は相手を殺して金品を奪うのです。そのためにどの家も鉄格子に囲まれ、高い塀の上には砕いたガラスびんや釘が突き出し、銀行や高額商品をあつかう店の前には、機関銃をかまえた警備員が必ずにらみをきかせています。彼女たちのミッションは、本当に命がけなのです。

 またシスター斉藤は、音楽教師でもあるので、教会の聖歌隊の指導もしていました。しかし、ホンデュラスの聖歌や一般の歌には、どれも楽譜というものがなく、ただ人から人への口伝え(耳伝?)とノリだけで、全てが成り立っています。そのため、同じ歌でも人によって歌詞やリズムや音程が違うのです。しかし、そんな事はホンデュラス人にとって、何の問題にもなりません。多少の違いは気にせず、ただその場のノリのひとつで、全てが始まり終わっていきます。

 そんな彼らの何人か集め、ひとつの歌をひとつの調子に合わせて歌わせるという事は、至難の技の様でした。イタリアで専門の音楽教育を受けたシスターは、悪戦苦闘しながらも、彼ら独特の変則リズムと不思議な哀愁を漂わせながら、変調して行くラテンの聖歌を100曲以上も楽譜に残しました。それらは、ホンデュラス人の心とその国の事を形と記録に残し伝えていくための、貴重な資料になるに違いありません。

 サンタ・バルバラからの帰りは、久々の中米ひとり旅でした。日本人には想像もつかない様なポンコツバスは、夕暮れの中を行きました。閉じない窓から吹き込んでくる亜熱帯の熱風は、やがて少しづつ心地よさを増して行きました。ラジオからは、シスターが格闘していた、不思議な哀愁を帯びたラテンの旋律が漂い続けていました。私は、ホンデュラスの山々を見事に染めて行く夕陽をながめながら、サンタ・バルバラのシスターたちのために祈りました。

[写真:両親から捨てられたハスキーボイスのルディン(6)。ホンデュラスレポーターのMarioと]