Marioレポート12

5.グラシエーラとその家族

 私が滞在していた街サンタ・ロサ・デ・コパンから2時間くらいバスで走ると、隣の県オコテペケに入ります。そこには私が手伝いをしている孤児院と同じ修道会が経営する「カーサ・デ・マリーア」(聖母の家)という名の、別の施設があります。ここでは、病気を持って生まれた乳幼児の孤児、そして同じ境遇の子供たち、そして病気を持っている身寄りのないお年寄りたちの世話をしています。

 また、お金を払えない貧しい病人たちのための、無料診療所も開いています。診療所といっても、小さな検査室と薬剤室、そして看護士がひとり常駐しているだけで、医師はたまにしか来ません。建物自体は、医療装置を備え付けられる作りになっているのですが、その資金がこの国の田舎の一施設にないのは、明らかでした。それでも、お金を払えない病気の貧しい人々にとっては、唯一の拠り所で、無料で薬がもらえるだけでも、十分に必要を満たしている様でした。

 しかし、私が訪ねた翌日に、強盗が入り、ほとんど全ての薬剤を奪われるという事件にみまわれてしまいました。被害額は莫大で、施設は大きな財産を失いました。この国では、金目のものがあると分かれば、すぐに強盗事件が起きるのです。もともと経営的に苦しい施設である上に、この事件が重なって、院長のシスターカルメンは、頭をかかえていました。会計責任者のシスターノエミは、自身も病気で、その治療費がかさむにもかかわらず、それをさいて施設の運営に回した様です。貧しい人々に限らず、シスターたちもギリギリのミッションを続けていました。
 また、「聖母の家」では、別の支援も行っていました。施設には、グラシエーラというひとりの女の子が、住み込みで働いていて、子供たちやお年寄りの人たちの面倒をよく見ていました。彼女は、病気で働けない父親と、病気の母親を持ち、2人の弟と2人の妹の面倒を見るために、物乞いをしながら通りに寝泊りしているところを、シスターたちに助けられました。
 7歳の頃から9年間、この生活をして来た彼女に家はなく、廃屋になったボロ小屋の中で、子供たちは、ひとつの壊れたベッドに6人で寝ていました。