Marioレポート15

  7.エルサの手紙


3ヶ月という時間は、あっという間に過ぎて行きました。おととし私が初めてここを訪れた時、それは私の初めての海外旅行でした。そして、スペイン語は一言もしゃべれませんでした。たった2週間という短い訪問でしたが、私の心をつきぬけて行った何かにむかって、私が動き始めるには、それで十分な時間でした。再びこの場所へ戻って来る事だけを目指して、昨年1年間の全てをついやしたと言っても過言ではなかったでしょう。そして、私は再びここに戻って、この地に立ちました。たったひとりでこの地に再び立った時、私は万感の想いにつつまれました。いったい何が私をここまで連れて来たのだろうかと。


帰国する日の朝、私の部屋のドアの下に、一枚の手紙が置かれてありました。それはあの障害を持った子トーニャの姉、エルサからのものでした。彼女自身も心の安定を保つ事が難しい子で、私が滞在した3ヶ月のあいだ、ずっと不安定な状態が続いていたので、私たちはほとんど会話をする事も、交流を持つ事もありませんでした。その手紙には、こう書かれてありました。


「たとえ100人の友だちを持ったとしても、あなたの事は決して忘れないわ。だって私は、あなたの中に本当の友だちというものが何かを見つけたのだから」


私はこの3ヶ月のあいだ、ホンデュラスという国で出来る限り生きてみました。ただそれだけで、それ以上の事は何ひとつ出来ませんでした。彼女は私の中に、いったい何を見たと言うのでしょう。しかし私は、彼女のこの手紙を読んだ時に、私のこの3ヶ月のあいだのホンデュラスでの日々の全てを受け取った様な気がしました。それは、おととし初めて私がここを訪れた午後から、今朝に至るまで、ずっと私を押し続けて来た“何か”でした。どんな苛酷な現実が存在しようともそれは、私の中の決して揺らぐ事のない不動の“何か”なのです。一言も言葉を交わす事のなかったエルサが、一言だけ話してくれたその言葉は、私の中で確かな道しるべとして、1本の道を指し示してくれている様に思えるのです。


まだ子供たちが寝ている早朝に出発する私は、廊下で朝食の下ごしらえにむかうエルサとすれちがいました。「エルサ、ありがとう」と声をかけると、彼女はにこりと微笑みうなずくと、そのまま調理場の中へ消えて行きました。


私は行くべき道を確かに進み始めている事を確認して、出発しました。


Tokio, 23 de febrero de 2005 Mario