イリガライ来る

イリガライ来る


イリガライとは、フランスのジェンダー研究家、思想家のリュース・イリガライのこと。『ひとつではない女の性』という本が有名だ。ラカン精神分析から、独自の論を展開して、男性中心の言説から脱しようと説いた人なのだ。


そのイリガライが、vengavaleのいる大学へとやってきた。かなりのビッグネームなので、きっと沢山の人が来るだろうと思って、ちょいと早めにホールに入る。5分もたたないうちに、100人収容のホールが、ほぼ満席。さすがだ。


講演は英語で行われた。フランス人だから、フランス語で話すのかと思っていたし、実際通訳をする先生も、パネリストとして控えていたけど、イリガライはフランス語なまりの英語で、全スピーチをやりおえた。


英語で話したのは、彼女のテーマが「他者への道」というものだったから。言語の違いは他者を生み出し、それは不安、恐れ、排他とつながりやすい。一昔前に語りつくされた感のある、「他者」論だ。「他者」と対したとき、私達は自分の中の他者に気付かなければならない。そして、コミュニケーションのジェスチャーをすべきなのだ。しかし、コミュニケーションとは、ただ言葉で話せばいいわけではない。さわったり、見つめたり、時には「沈黙」もジェスチャーになるのだ。


「沈黙」を積極的に取り上げたのは、面白い論点だった。イリガライの本のイメージからは程遠い、思ったほど明確なわかりやすい講演だった。


しかし、と考える。


それって、「言うは易し、行うは難し」のたぐいなのでは?


フロアからは国と国、男女の間でいかにそれを効果的に行えるのか?などの、ごく自然な質問が出た。イリガライは、丁寧に答えていたが、やはりこの質問する、答える、聞くというのも、他者を自分の中に見て、コミュニケーションで道を作るというプロセスなのだろうな、と思っていたのであった。


失礼だが、優しいおばさんという印象だった。本からは、「小難しい女性」などと勝手にイメージしていたので、これも大きな収穫だった。講演のあとは、無料のドリンク(ワインとジュース)が振舞われた。なんせ、このセッションは[feminism and food]とかというシリーズらしく、講演の後は、ドリンクとチップス(ポテトチップス)でおしゃべりするというコンセプトらしい。ふむ、これはいいぞ。


(ここに書いた要約は、vengavaleの理解した範囲のものなので、もしかしたら理解が違うかもしれませんが、ご容赦を!)