ベルリン6−ザクセンハウゼン強制収容所

vengavale2007-07-07


先日のユダヤ博物館に続いて、痛い場所にやってきました。

駅からバスが1時間に2,3本でていますが、土日は1本くらいしかない、辺鄙な場所にそれはあります。vengavaleたちは、バスの時間に間に合わなかったので、徒歩で20分歩きました。

収容所前のバス停には、青い目をした老人が立っていて、話しかけてきました。
「何処から来たのですか?」
「日本です」
するとそのおじいさん、日本語で「にほん」「きょうせいしゅうようじょ」と言って、これしか日本語知らない、と言ってきました。

時間があれば、案内してあげるのに・・・と言ってくれましたが、時間も無い様子。帰りのバスのことを教えてくれ、おじいさんとは分かれました。もしかしたら、生き残りの人だったのかもしれません。

入り口に入ると、受付があり、ガイド地図は有料だけど、他は無料ですと言われました。入り口から中へは、またまた5分くらい歩きます。そして、やっと門が見えてきます。

門には「働けば自由になる」という、なんとも気持ちの悪いモットーが書かれていました。働いても働いても、自由になどなれないことを、皆知っていたでしょうに。

一歩踏み入れると、なんともいえない、気持ちの悪い空気が流れます。広大な敷地の中に、展示をしているところが点在していて、全部みるにはきっと半日はかかってしまうでしょう。

病棟跡の建物に入ってみました。中は、当時使われていたかび臭い部屋と廊下が、展示物などと共に残っています。パネルが多く、生き残り者たちの証言や絵などの紹介もあったりして、悲惨な当時の状況が想像されます。

写真は、広大な敷地の奥に聳え立つ、塔。きっと記念塔でしょう。ここで無くなった魂を慰めるかのように、聳え立っています。

とにかく、戦争の最も悲惨な傷跡として、生きているうちにどこかの強制収容所には、一度は訪れるべきかもしれません。ポーランドアウシュビッツは、この比ではないそうですが、ここで辟易してしまうほど、不気味なものでした。

ここへ行くツアーもあるそうで、この日も学生らしき団体が何組か訪れていました。ユダヤ人の気持ちが少しでもわかるように、と駅からは徒歩で行くそうです。もちろん、同じ道を通ってはいませんが、彼らの気持ちを理解などはできないでしょう。というより、理解できたという事自体、無礼かもしれません。