プラハ8−アルフォンス・ミュシャ

vengavale2007-07-26


チェコの有名人というと、真っ先に思いつくのがドボルザークチェコ航空プラハに着陸したときも、すぐ「モルダウ川の流れ」の曲が流れていました。

でも、ドボルザーク以外にも有名人がいたのです。その一人が、アルフォンス・ミュシャ。英語だとムハ、スペイン語だとムッチャと読むので、なかなか混乱します。

vengavaleは、ミュシャの絵が大好きでしたが、ずっとフランス人だとばかり思っていました。不覚っ!

ということで、ミュシャ美術館を訪れました。今まで彼の絵しか知らなかったのですが、彼は1860年生まれ。79年から、まずウィーン、ミュンヘン、パリ、アメリカ、プラハと、生涯いろいろな国に滞在します。といっても、国境があやふやな時代ですから、第二次世界大戦前は行き来はむしろだったのかもしれません。

彼をフランス人だとずっと思っていたわけがわかりました。彼はサラ・ベルナールという女優の専属ポスターデザインをしたり、オーストリア=ハンガリー帝国の依頼で、パリ博覧会(1900年)の仕事をしたりしたので、有名になったのがフランス、もしくはフランスつながりだったわけです。

彼の「四季」などは有名ですが、実は晩年スラヴをモチーフにした絵を数々残しています。『スラヴ叙事詩』といわれるそのシリーズは、青、オレンジ、黄色の配色が見事。最後までスラヴ人としてのアイデンティティを求め続けた人だということがわかりました。

1939年、ドイツのチェコ侵攻の折、彼は捕らえられ、釈放されたものの、それが元で健康を害し、同年没します。

日本人にはありがたい、日本語の手ごろなパンフレットがギフトショップで売っています。英語を読むのが嫌な人は、先にギフトショップに寄って、そのパンフを買って、中に入るといいでしょう。なぜか他の言語でのパンフはなかったです。

中ではミュシャの生涯がわかりやすく解説されたビデオも上映されています。これは英語しかありませんが、とてもよくまとまっているいいビデオでした。

<おススメ本>

アルフォンス・ミュシャ

アルフォンス・ミュシャ

*p1 ミュシャの世界をどうぞ!