明徳寺―高坂弾正昌信と栗林中将とよっぱらい弥勒さん

vengavale2010-08-30


海津城初代城主高坂弾正昌信のお墓は、明徳寺にあります。ここは、車で行かないと登るのが難しいかもしれない、坂の上の上にあります。

門につくと、けっこう立派な彫刻と、でかでかと書かれている高坂弾正第二次世界大戦中の硫黄島戦いの指揮官栗林中将(今は大将)、そして弥勒菩薩の名前が書かれています。
蛙も有名だそうで、大きな蛙のオブジェもありました。

中に入るとこれまた大きな塔が建っていて、NHK大河ドラマ風林火山』放映記念高坂弾正忠昌信の墓、映画『硫黄島からの手紙』上映記念栗林忠道中将の墓、酒呑弥勒、と3方に☚が書いてあるので、迷うことはありません。

まず、高坂のお墓。 400年あまり経っているからでしょう、もう墓石が崩れかけています。

栗林中将のお墓は立派で、高価なウィスキーがお供えられていました。

そして、酒呑弥勒。物語は次の通り。

その昔夜な夜な酒を飲みにくる坊主がいて、いつもお代をつけにして帰ってしまって、一向に払ってくれない。坊主が属しているという明徳寺に、酒屋の主人が代金を請求に来ると、そんな坊主はいないし、第一お酒を飲めないと、知らぬ存ぜぬを繰り返した。それでも酒飲み坊主がまた酒屋にやってきて、また代金を払わないので、縄で縛りつけた。翌朝、縛っていたはずの坊主もいなくなっていた。不思議に思って、明徳寺のお堂を坊主が覗くと、お寺の守護弥勒菩薩が、縄で縛られていた、ということだそうな。

弥勒さん、無銭飲食はダメよ。でも愉快な菩薩さまでした。

 松代城址

vengavale2010-08-29


松代の町にやってきました。ここは、幕末の思想家佐久間象山の生まれ故郷としても有名です。

松代城は、かつて海津城と呼ばれていて、初代城主は高坂弾正忠昌信でした。第4次川中島合戦では、信玄が布陣したところでもあります。 高坂は、武田信玄の家臣で、昔の武士の間では自然であった、寵愛(いまでいう同性愛関係)を受けた、美貌の武士と呼ばれているそうです。そのせいかどうか、正室と結婚したのは30すぎだったそうで・・・でも、昔の資料は正確ではないことが多いので、なんともいえませんが。

 今は門以外は中はがらんどうで、石垣が残されているのみです。ここに何があった、などの間取り付き説明看板があるのみなので、見物はすぐ終わります。 それでも、高台から見渡せる風景は、感慨深いものがあります。

高坂は、第4次川中島の合戦で、妻女山に布陣しているであろう上杉を討つべく、別働隊を率いて向かったものの、上杉はすでに移動していた、ということであとから駆け付けたといわれています。さぞかし悔しかったでしょうね。

 松本城

vengavale2010-08-27


信州・越後をめぐってきました。まずは松本城

国宝になっていて、天守閣は建築当時のものが残っているそうです。明治時代はそれでも武士や封建主義に対し、否定的な時代であったために、かなりの文化財が流失、破壊、紛失してしまったそう。ここは古くは武田信玄がいたお城でもあります。(その頃は深志城と呼ばれたらしい)。城主がかなり代わったお城でもあったのですね。

まず入口で入場料を払うと、広いお庭があります。そこには、加藤清正が江戸訪問の帰りに立ち寄って、馬をもらいうけた際につないだ桜の木があります。松本城主石川玄蕃に二頭のうちどちらかをあげるよといわれて、どちらも選べないから両方もらう、と答えたそうです。清正、うまいなあ。

松本城は6階だてになっていて、上に登るにつれ、いろいろな展示物が迎えてくれます。ほとんどの人はあまり熱心に見ないで、ひたすら天守閣をめざすのですが、けっこう面白いものが展示されています。たとえば、秀吉にもらった瓦とか 鉄砲の指南の絵と解説とか

上にいくにつれ、階段が急になるので、やっぱりズボンがいいですね。高いのだと20cmくらいの段差があり、なかなか疲れます。夏休みからなのか、人出が多く、最上階は湿気がすごかったです。(風は通るのですがね) 上を見上げると、二十六夜社なるものが飾られています。 松本城の守護神だそうです。

天守閣は城主の座というところがあり、昔の城主の殿様が座っていたであろうところに座布団がありました。世が世なら、庶民はおろか、武士でさえ気軽に登れなかった天守閣。らくがきがいっさいなかったところが救いでした。

そのほか、徳川家光のために作った月見櫓とか、黒門とか もなかなかよかったです。

最後におまけ 絵がなかなかカワイイ看板でしょ?

 六道珍皇寺 六道まいり

vengavale2010-08-25


少し古い話題になってしまいましたが、京都の清水寺の反対側に、六道珍皇寺があります。ここは黄泉の国と現世をしばしば行き来していたという、小野篁ゆかりの寺です。小野篁は、小野小町の祖父でもあります。

入口には六道の辻があります。
六道とは仏教で輪廻転生する際、迷いある人が分かれる6つの道だそうで、天道、人間道、修羅道畜生道、餓鬼道、地獄道とあり、上にいくほどよくなります。

この日は六道まいり(7月7−10日)で、初盆をする人たちが、竹の薄い紙に戒名を書き、供養する場所で葉のついた枝で水をかけ、お供えします。そして、鐘を鳴らします。

vengavaleはやり方を知らなかったので、初盆を迎える祖母の供養はできず・・でも、六道まいりだけに販売されるという、ご朱印はいただいてきました。今年は月光菩薩だそうです。

境内には、小野篁の像、閻魔大王の像もあり、なかなか見応えがあります。篁が地獄の入口としていた井戸は、混んでいたので見ませんでしたが、また今度ゆっくりと見に行こうと思います。

 祇園祭5−夏越祭

vengavale2010-08-07


7月31日。八坂神社では、祇園祭最後の行事で厄除けの意味がある、夏越祭がありました。他の神社では6月30日に行うそうですが、八坂さんだけ1か月遅れだそうです。 わらで作った大きな輪をくぐり、蘇民将来命が祭られてある疫神社に向かってお参りします。この神様は厄除けとして、玄関飾りの文言に使われたりするらしいです。

10時から始まりますが、vengavaleは11時ごろついて、20分くらいでお参りできました。飾ってあるわらをいくつかとり、みんな小さい輪を作って持っていっていました。厄除けになるそうです。vengavaleもいくつか取って挑戦。でも、うまく輪にならず、いびつな感じになってしまいましたが、とりあえず飾っています。

お金を払って厄除けもしてもらえます。ちょうど午前に申し込んだらしい人たちの厄除けの儀式が行われていました。

 祇園祭4ー花笠巡行2

vengavale2010-08-04


祇園祭は7月31日に夏越祭をもって終了しました。初めての祇園祭なので、まだ余韻がのこっているところですが、実際はいささか古い話題になってしまいました花笠巡行その後を書きましょう。

八坂神社に戻ってきた巡行の方がた。それぞれ、芸を披露します。舞台は中央。ちょうどお参りする本殿の前にあります。若い(たぶん高校生〜大学生くらいの)女性たちが舞う、獅子舞。 お暑いのに大変ですね。 そのあと舞妓さんたちの舞。コンチキ音頭というのを歌っていました。

コンチキ音頭
京はナア 霞のむらさきくれはうすべに
風流はんなり しっとり千年
都に流れて コンコンチキチン コンチキチン
ヤンレヨーイヤ ヨーイヤサ

 などなどと続きます。そのあと雀をどりがありまして

vengavaleお気に入りの鷺たちが鷺踊を披露小学生たちが半年くらい練習したらしいです。なかなかカワイくて、うまかったです。

炎天下で2時間くらいそれぞれの踊りを観たら、見てる方もフラフラ・・・でもやっているほうはもっと大変でしたでしょうね。

 祇園祭3−花笠行列

vengavale2010-07-27


7月24日は祇園祭の花笠行列。八坂神社を10時ごろ出発した行列は、最初に子供みこしがあり、 その後、いろいろな行列が。
若い女性たちの行列が続き、高校生らしき女子が中に入っている獅子舞 (「暑い?代ろうか?」と友人同士で打ち合わせしている声が聞こえたのはご愛敬(笑))
さらに馬に乗ったサムライが。

かなり長い行列がつづきますが、シャッターの数が一番多かったのは、やはり舞妓さんの車。  でもvengavaleのお気に入りは、子供たちの鷺。

行列はまだまだ続きますが、三条通まで歩いて八坂神社に戻ってきます。そして、舞台の上でそれぞれが舞いを踊ります。

(つづく)